絵解き

・「判治郎パリ日記」には当時パリに滞在していた日本人が実名で多数登場する。その人物たちについて説明がないのは日記の常である。

・日記に最も多く登場する「中村氏」は、東京小金井市の洋画家、中村研一氏である。(小金井市「中村研一美術館」)。

・当時パリでもっとも有名な日本人は、藤田継児氏で、判治郎の日記では、三度登場する。三度ともカフェまたはレストランで、飲み食いをともにしている。

・日記に登場する日本人名を、判治郎の表記どおりに列挙する。
片岡、香田、和田清、織田、鶴見、小野、大森、三木、鬼頭、田村、東堂、アソ、山口(仏教哲学者)、西田、沼沢、川島、石黒(注:敬七氏のことか?詩人、随筆家)、西川、小寺(注:健吉氏のことか?、画家)、銀藤、東、佐ぶり、角、麻布、寺内、安藤、小島、長尾(イソガヤ氏と別名表記もある)、清水、新井、秋好、三崎、細谷、宮田、エビナ夫妻、伊藤、細谷、小柳、一木、岡、福井、おぎ、松葉、秤

・登場するフランス人は、モデル以外は案外少ない。日記は最初の年でもあり、言葉に不自由したせいであろうか。モデル以外のフランス人を挙げておく。
サブリ氏、アスラン夫妻、フレイ、マダム・リュスチック

・判治郎は、絵の勉強のために「アカデミー」と呼ぶ学校に通い、フランス言葉を習いに「ベルリッツ」に通った。

・判治郎が訪れた美術館や画廊で日記に現れるものは
ミューゼ、プチパレ、ルーブル、Musse de la recoratif、ロダンミューゼ(行ったが、しまっていた6/18)、ピカソの展覧会(6/27)、プチパレ(7/1 シャバンの肖像、クールベ、カリエール、ドミエ、モネ、ピサロ)、ゴッホ展(7/8)

・誉めている作品は、
シャルダン、ベラスケス、レンブラント、

・判治郎が写生等で旅行出かけた先は
ベトイユ(5/29)のホテル・ノルマンディ泊、
マント

・日記に登場するカフェやレストランは、
クーポール、
ダンフェールのブファロー、
モンパルナス駅前のカフェ
ツールダルジャンで10/26、12/8
Rue Vavinのレストラン(5/28)、
ルージョ(6/2)
リラの横のレストラン(6/4)(7/9 店名femile)
アンジャのカッフェ
ロートンヌ
リラ(6/14)
シャンゼリゼ通りのカフェ(6/21わざわざタクシーで行っている。アスラン夫妻との会食)
セーヌ河畔のラ・ペレンス(la perense 6/21、)
カズナーブ
モンパルナスのルージョ(7/7)
ドーム(7/9)
regeof(レジェフ 7/12)
レストラン・クトー(7/12)
サンゼルマンのルーショ(7/14)

・日記に詳細に書いてある会食(美味であったらしい)
セーヌ河畔のラ・ペレンス(la perense 6/21、)

・判治郎は飲み歩いてしょっちゅう酔っ払っている。
飲んだ酒は
ポルトの白(5/25)、ペルノー(5/28)、ポルト(6/12)、シャンパン(6/12)、シャンパン(6/16)、食事しながら白ワインと赤ワイン(6/21)、昼のアペラチフ(6/29) シャンパン(7/5)、
シャトーブリアン(7/12)、フヒーヌ(7/12)、昼のアペリチフ(7/13)

・日記に登場する町や通りで、判治郎が実際に歩いたと思われるのは、
サン ラザール駅(5/29)
ルーブルからベルサイユへ行き散歩(6/5)。
モンパルナスからサンゼルマンを散歩(6/10)
サンドニ
モンスリー公園で日光浴(6/11)
ダンフェール(6/13)
ルクサンブルグ公園(6/14)
セーヌ河畔(6/17)
動物園(6/19)
モンパルナスからエッフェル塔を抜けてルーブルへ散歩(6/29)
エトアールの無名戦士に花をささげる(7/9)

・日本食は
かば焼き(日本人クラブ、porte maille)、ときわ
不二
支那めしや宝の山という店名の日本スーパー(しょうゆ、羊羹)、


・モデルと画家のつきあいはどんなものであったのか。
モデル名:
ジュリアン、クララ

・鶴見氏のラブの話(6/14)

・性の解決:判治郎は38歳。性に枯れた年齢ではない。が、日記には色恋沙汰の記述はない。パリには街娼が多く、不自由しなかったのであろうか。8/13と10/11の欄外に、U字マークのような印がある。7/9の項参照。

・日記に記載された社会的事件は
7月29日のアメリカの子供が死んだ新聞記事。

・金について:
80ポンドが9900フラン。
鶴見氏に、6/9までに計700F,6/17に300F貸している。

・ホームシック
6/8、ホームシックで、描いた絵をズタズタに破いて、モデルを驚かせている。

・遊び
パテベビー(12ミリのフィルムによる映写機)