見た夢の最近のブログ記事

「ネコのレム睡眠を見ちゃった」と、つれあいが言った。

ソファで膝に抱いていたネコがねむって、目玉がグルグル動いていたというのだ。手足も突っ張っていたという。長男ネコのムウである。

このネコは、一年前、つれあいが抱いていっしょに寝ていたところ、深夜に、とつぜん毛布の下から跳ね起き、顔を踏みつけて逃げた。悲鳴をあげて飛び起きたつれあいの右目の下の皮膚についた長さ3センチほどの傷からは、血がどくどくと、、、、。

寝ぼけたネコのせいで、つれあいは全治6ヶ月の傷をこうむった。ネコのツメの傷は深くぎざぎざで治りにくいらしい。ファンデーションを塗らないと、いまでもうっすらと傷跡が見える。

このときは就寝中に寝ぼけて飛び起きたのだろうと、漠と思っただけだった。が、原因が恐い夢だったとすれば、ネコの脳で起きた恐怖のストーリーがいったいどんなものだったのか、興味がつきない。ちなみに、ネコやイヌも夢をみることは確かなようで、ネコの夢については、このページがわかりやすかった。夜寝たあとにみる夢はこわいものが多い。そのうめあわせで昼間みる夢が楽しい白昼夢になるとすれば、ネコは、昼寝しながら、マタタビ味のマグロ缶詰の夢をみているのだろうか。

  

「なんとかがなんとかの夢をみるか」というフレーズは、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」からはじまったのだろうと思う。これが新刊で平積みされていたのを見た記憶がある。もじりやすいので、亜流がいっぱいのようだ。「信長の野望」がNECのパソコン上で動くBasic言語で書かれていてソースコードが丸見えだったころ、同じ会社が「オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか?」というタイトルで、いやらしいソフトを売っていた。恥ずかしくて買えなかったが、よくも悪くもタイトルに強烈な印象を受けて、いまだにその名を覚えている。ウェブで、調べてみると、ここにあった。

 

 

 

窒息するネコの顔

長男猫ムウ、妹猫メイの全力疾走おいかけっこがウルサイ。床の上をおいかけっこするだけでなく、棚の上に飛び乗ったり、ソファの背やベッドに駆け上り飛び降りる。ムウは6キロ近く、メイも5キロある。飛び降りたときのドスンという足音は、まことにウルサイ。

ときおり、やめさせるために介入するのだが、叱られそうなのを敏感に察知して、手の届かない椅子の下や家具の後ろに身を隠す。確実にやめさせるには、猫族が嫌いな電気掃除機をウインウインいわせて先端で脅かすのが良い。。。。。動物愛護の観点からは、良いというわけではないだろうが、軽いイジメなら、遊んでもらってると思ってくれるのではないか、、、、。こういう脅かしをやった夜でも、いつものとおり、2匹は私とつれあいが寝ているベッドにもぐりこんできて腕まくらを要求し、すぐにフガフガと寝息をたてるのである。

かわいい。が、昨夜は彼らの夢をみた。

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2匹がおいかけっこしていて、you-tubeやテレビで有名になった「紙袋に飛び込むネコ」のように、透明なビニール袋に飛び込んだ。その瞬間、掃除機のスイッチが入り、布団をペチャンコにするあの製品のように、ネコがかぶったビニール袋から空気が吸い取られ、窒息して、その苦しさにネコの顔がゆがむ。あっ、ネコが死ぬ!!と思った瞬間、眼が覚めた。

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どんな風にネコの顔がゆがんだか、まったくビジュアル記憶はないが、確かにネコの顔が歪んだという強烈なインプレッションが残っている。だけど、苦痛に歪む人間の顔なら思い浮かぶが、ネコの、快感や苦痛の表情はどうやって見分けるのだろう。

そんなこともわからないのでは、ネコ飼いの修行がまだまだではある。

 

 

短い夢

また、見たよ。

午前10時半に睡魔に襲われ、横になった。

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つれあいが先に駅に降りて、私は他の乗客が邪魔で降りることができない。キップを失くしたのに気づき、ポケットを探したり、床に手を這わせて探すが、無い。電車が発車する。つれあいに携帯で連絡して、次の駅でおりて戻りの電車に乗るから待っているように伝えようとして、そんなこと携帯電話しなくたってわかる当たり前のことだと思い直したところで、ネコが枕もとで爪をたてるガロガリという大きな音で目が覚めた。

 

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何秒くらいの夢だったのだろう。脳のどの部位が発火したのか?

また夢を見たよ。

床にはいったのが、午後11時ごろ。寝室のたんすの上にかけあがったりして、ネコがうるさくしているのに気づいて、アンド、尿意で目覚めた。こういう夢だった。

 

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タクシーに乗り込み、行き先を告げると、きき返されたので、海岸通りではなく、尾根の道を行けと伝える。

車は山のふもとの狭い道をジグザグに走って、丘のひとつをこえたところで、池に出た。昔から良く知っている水深の深い池で、道路はその池で行き止まりになっている。

運転手はかまわず池の砂浜から菖蒲の群生をなぎ倒しながら水面をジャブジャブと走る、心配するが水が足元にはいってくる様子はない。タイヤが浮くから、と運転手が笑う。

向こう岸に着いて車が土手を駆け上がると、そこは坂の上の、狭くて車の進入が禁止された、魚のすり身をてんぷらにして売ってる屋台がある市場で、車は進入禁止の木の枠に突っ込んでとまり、運転手は降りて、右に行けばよいのか左に行けばよいのかきいてくると立ち去る。

私は店に入って何かわからない商品を手にとり、それをみているうちに、伊賀の影丸のページをめくっており、漫画を描きたいのなら回り道せずにいますぐ筆と紙を買って描き始めればいいのだと突如了解する。

そのまま場面が変わって、母の弟のおおきな洋館屋敷の前、そのおじが石畳の坂を下ってやってきて、大丈夫かと訊かれ、そばにいた母が肩にかけたショールをとって見せると、ノースリーブの背中から肩と腕にかけて、おおきなただれた、たこの吸盤のようなものが何十個もついている。驚いて目が覚めた。

 

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意味するところはなんだろう。自転車で走り回っていた海岸通と山道、溺れ死んだ人がいたと噂される裏山の池、魚のすり身のテンプラを威勢良く揚げている市場、横山光輝のマンガ「伊賀の影丸」、後に大成功したおじ、乳がんの疑いで乳房を全摘した母。

これらはすべて、少年期にほんとにあったことだ。ということは、今夜の夢は、長期記憶を保存している脳細胞でカルシウムイオンが発火した結果ということか。

あるいは、たまたま見た夢を、保存された私の長期記憶が解釈してみせた、ということか。

伊賀の影丸について言えば、これをまねて何十ページかのノートに描いた忍者漫画を父にうまいなと冷やかされた思い出がある。50年近く前のことだ。父が誉めたのか、ひやかしたのか、よくわからないが、たしかに、父に言われたあと、私はマンガを書くのをやめた。マンガを描いていることは隠したかったという記憶がある。描きたければ遠慮せずにすぐ描けばよいという夢の中で感じた了解は、おとなになった私の意見だ。とすれば、夢は、長期記憶が投影されたスクリーンを見ているだけの脳神経反応ではなくて、現在の価値判断や好悪感情をも発火させる脳神経反応ということか。

 

 

漫画で思い出したことがある。

少年サンデーという少年向けの漫画週刊誌に手塚治虫の「白いパイロット」という作品が連載されていた。突然連載が打ち切られたか、それとも漫画を買うのを親に禁止されたか記憶が定かではないが、とにかく、面白くて読んでいたはずのそのストーリーの結末がまったく記憶にないのだ。エンディングがハッピーだったのか悲劇だったのかの印象さえない。私が覚えている最後は、南海の火山島の湖に、主人公の少年革命家のパイロットたちが乗っとった大型の空飛ぶジェット戦艦が不時着する場面だ。これからどうなるのだろう、という強烈なインパクトを与えられながら、その後、一度も、次に物語がどうなったかを知る機会がなかった。

このことが何十年も気になっていたが、半年ほど前、ジュンク堂の手塚全集コーナーで見つけた。ビニールの封をまとって陳列された文庫サイズのそのマンガをためらわず買って、読んだ。改めて読んでみると、クローン人間と、そのクローンを作った人間との、複雑でアンビバレンツな感情を背景にした、国際政治と人間主義的反逆者の戦いの物語。というようなかんじで、けっこう、読者には難しい、作者自身さえ少々消化不良になっていたのではないかと思わせる内容だった。解説によると、連載初期は人気が高かったが、人気が急落して、連載を早めに終わらせることになったようだ。

bbA。ではあるが、本棚からは捨てずに置いておこう。

 

いやな夢を見て、目が覚めた。

 

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七、八歳くらいの兄と、三歳くらいの妹。私は二人の父だ。妹が怪我をして帰ってくる。泣き喚きもせず、傷をみせる。左ふとももの内側、つけねから膝まで、長く深い傷。出血している。

私は「どうした!」とびっくりする。

兄が答える。「足の奥に穴があってそこにおちんちんを突っ込むと気持ちがいいと教えてもらったので、妹のをみせてもらったけど、なんにもないから、穴をつくってみようと思って、エンピツを突き刺してザーと引っ張って筋をつけたの」

 

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私はショックで、目が覚めた。どうしてこういう夢をみるのだろう。私に子供はいない。昼間、長男ネコのムーが妹ネコのメイをプロレスごっこで追いかけているのを目撃した。ネコはどちらも去勢してある。性的な何事かが起きる懸念はない。

 

フロイト流なら夢を分析して何かを解釈してみせるのだろう。夢分析は人間理解のためのひとつの方法なんだろうが、関連する知識がない私には自分の夢の分析も解釈もできない。これはどうも、すわり心地が悪い。寝ているときの出来事とはいえ、自分の一部に自分でも理解できない脳神経現象がおきているのだから。

 

思い起こせば、1985年ごろに頻繁に金縛りの夢を見た。PCが面白くてブラウン管方式の(チカチカしてる)モニター画面を長時間覗き込み、毎晩眼精疲労から、金縛りの夢をみるようになった。この種の夢は苦しく怖いので逃れようとして、金縛り状態のまま「負けるものか。抑えてくるなら、跳ね返すぞ」と、夢の中か現なのかわからないまま、毎晩、金縛りから脱却する戦いをした。半年ばかりそのような夢の中の戦いを続けたあと、まったく金縛りが起きなくなった。というか、いっさい、夢を見なくなった。どんなに眼精疲労がおきていても、金縛りは起きなくなったし、ふつうに眠れて、夢がやってくることはなかった。

それ以降20年以上、夢は一度もみなかった。

引退して一年ほどたったころ、2007年の夏ごろのことだ、二十数年ぶりに、突然夢を体験した。自分はジェームズボンドのような工作員だった。豪華な超高層マンションの一室で、金粉を塗られた裸の美女を発見し、熱いお風呂にいれたら生き返ったので、驚いて夢から覚めた、のである。

この夢なら意味を解釈できる。GoldFinger は生まれてはじめて自分で金を払って(高校の制服制帽を着たまま、混雑する繁華街の封切りロードショー映画館で)見た映画であり、さらに、じつは「金粉を塗られたくらいで皮膚呼吸ができなくなることはない」という科学的事実が記事にならないよう当時の映画配給元が手をまわしていたという話を、昼間に立ち寄った本屋での立ち読みで知ったからである。

 

たしかに、「何十年も真に受けていた美女の殺し方がまるっきりの虚構であったとは、、、」というショックの心理が、夢になって現れたのだ。

 

これを皮切りに、4半世紀のあいだ見ることのなかった夢をときどき見るようになった。

夢に脈絡はない。たいてい夢のストーリー展開に驚いて目が覚める。どのストーリーも互いにまったく似ていない。長編はなく、断片のようなものばかり。など、私の見る夢の共通点だ。そして、夢で驚いて目覚めたときでさえ、しっかりとその夢のストーリを反芻して記憶に叩き込んでおかなければ、つい家族と一言あいさつしただけで、すべて忘れてしまうのも、特徴だ。

「へんな夢、みちゃったよ」

「どんな夢?」

「えっ、あれ、どんな夢だっけ。思い出せないや」

 

思い出せなければ思い出せないほど、その夢が気になる。それで、夢に驚いて目が覚めたら、すぐにそのストーリを、一瞬のマグネシウム発光で像をとらえる銀板写真のように、文字に定着させたい。それを試みるため、見た夢というカテゴリを立てた。いつ夢を見ることになるか予想もつかない。さて、つぎの1年に何本かたまって、それを継いで見れば、私の心の、あるいは脳神経系のカルシウムイオンチャンネルの産むイルージョンが、ホテルベラッチオ前の噴水ショーみたいに見える、ってことは、、、、な、い、だ、ろ、う、な、ぁ。。。