2010年12月アーカイブ

capella 新嘉波 baa

overnight sensationをgoogleすると、「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」(オーバーナイト・センセーション じだいはあなたにゆだねてる)はtrfの10枚目のシングル。」というのが出てきて、困惑した。

ホテルの部屋においてあった「overnight sensation」という本の出版元がどこか、アマソンで買えるのかしりたくてググッただけだったから。

今回とまったホテルもそれに載っている。

が、それまでの3つとは明らかに異なるところも多かった。

 

期待した分がっかりする度合いが大きくなるというのは永遠の真理だが、今回もおなじだった。

 

出来て1年という新しさは良。1年たって少し慣れすぎたという点が不可。

ロビー・ライブラリ・部屋の3箇所で、小さな扉をもつ家具のちょうつがいが緩んで開閉の具合が悪くなっているのを見つけた。部屋の湯沸しポットもスイッチがバカになっていたので、取り替えさせた。修理チェックは頻繁なのがよいだろう。

一部のタオルの毛羽がごわつきはじめている。そういうタオルは客の肌に直接触れるバスルームなどにはおかず、プールサイドやジム用で使うのがよかろう。

朝食バッフェは文字通り毎日おなじで、アラカルトを頼もうとしても、バッフェにない料理は2品だけだった。ラヤバディやザレギャンでは、朝からサーロインのNYカット10オンスさえ頼めた。

 

ここは、インテリアが機能よりもデザイン優先のきらいがあって、処々に使いにくいところがある。

トイレがガラス張りである。設計士はつれあいにウンチング姿勢を見せる趣味のヒトだったのだろうか。

また、トイレがシャワレットでないことに、日本人以外は文句をつけないのであろうか。

室内にバスタブがなく、室外にある。露天風呂はすきだが、内湯があってこそだ。

villaに付属のプライベートpoolは畳3畳くらいで、泳げないどころか、横たわって浮いているだけのことすらできない狭さだ。背の低い子供が遊ぶ目的にしては深すぎる。掃除しないのか、枯葉が浮いていた。

また、本館にあるメインpoolでも枯葉が数枚浮いたり沈んだり。overnight sennsationにあるリゾートのpoolでは一度も枯葉なんてみたことがなかったので、ここは、ヒトがいうほど行き届いてないんだな、と感じた。

 

シンガポールは日本と同じく水道水が良いので、ポットでも湯沸しには水道水を使えます、、、というのがチェックインしたときの説明だったが、洗面所の蛇口は無用に手前に突き出していて、(ここのところあちこちのリゾート施設で流行のステンレス製の半球型の)水受けの上にせり出しているので、蛇口から湯沸しポットに水を入れても、今度はポットを水受けから取り出そうとすればポットを斜めにせざるをえず、結局水が半分以上こぼれざるをえないとうオマヌケ具合で、蛇口→コップ一杯分→ポットに移す、という所作を繰り返すことで、ポットを満タンにできることはできるが、どうも何だか、設計と機能が良く考え抜かれて作られたとは思えない。

いろいろ気づいて良し悪しを感じたのだが、もういちいち記述するのもメンドクサイので、答えだけにする。

baa

以上。

 

あ、そうそう、ひとつ最悪と思ったことを忘れずに書いておく。

 

最悪なこと:「支配人への苦情やコメントの用紙を用意してないこと」

 

古くからの宿屋には必ずあるが、新しいところにはわざとこれを置かないところもあるそうだ。ホテルのオーナーが苦情を読んで、下請けのオペレーション会社のヘマや手抜かりを口実に、オペレーション料の値切りや契約条件の改定を迫るからだそうだ。

 

あ、そうそう、ほめわすれたことがひとつ。

このホテルのライブラリは、ささいな接待場にすぎないが、こぶとりの女性コンシェルジュがいて、訪ねると、「ハッ・ロー、グッドアフタヌウーン、ミスター マルマル、マダム マルマル」など如才なく名前を覚えていて、礼儀正しく、気さくで、紅茶やおやつや新聞やPCまで気配りしてくれる。なんてことはないのだが、このコンシェルジュは、a格付けといっていい。

 

このホテルの食堂については、コチラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

OLMP

ゴルフでは境界を越えてしまうことをOBという。over baundary。

 

これにならって、OMPを使おう。

ただしくは、

out of Limit of my Patient  オレの我慢の限界を超える

であるが、

Limitを省略しても通じるんじゃないか。ためひsてみよう。

 

「和文SV」 

今までなかった新しい職人技にして、職業。

 

SVとは、すーぱーばいざー。スーパーバイザー。

 

「こんな文章、日本語になってないじゃないか!!!

 

いかりさえ感じる文章にでくわすことがある。1冊5000円もする翻訳本を買って読んで、こなれていない違和感のある訳文に出くわすと、たった1行だけで、読んで損したという気分になる。

 

訳者は、

? 自動翻訳ソフトにかけて、荒訳(あらやく)をつくる

? これを、原文をつき合わせて、荒訳のバカ翻訳ソフトではどうにもならない箇所を適切にしながら、翻訳としてのいちおうの脱稿をする。

 

こうして出来た第0.9稿をうけとった出版社の、編集者は、

?自分で見て、わかりにくい・読みにくい箇所に「?」をつけて、訳者に突き返す。

?訳者は、指摘に目を通して修正することもあるが、オレの訳は正しいと、修正しないこともある。

 

こうして、両者の間で妥協が成り立った成果物が、あるいは、未熟ものの訳者だった場合は監訳とか監修とかの権威者を引っ張ってきて体裁を整えた擬似最終原稿が、「いつまで推敲してんだよ、バカヤロー。しめ切りがせまってんだよ。いい加減に間にあわせろ」という諸方面の圧力に後押しされて、(字義ちがいではあるが)いい加減なまま出版日=取次に納品する月次の締切日に間に合う形で、出版され、、、購入して本気で読んだ読み手に、「なんだよ・この和文!」反応を起こさせてしまう。

 

読者は、ホントに損したなぁとおもうのである。

誰も金返せとはいわない。訳者の文章の間違いや、意味不明の文章を、なんとか(こう書いてあるけど、それは訳者の未熟さのせいであって、ほんとはこの訳者もXXXXと書きたかったにちがいない、と)知的に補ったりもする。

が、読書しながらそのような補完をする余裕がなければ、「アホか、この本、この訳者」と断罪して終わりとなる。どんなに良い内容が詰まっていても、まさしく一巻の終わり。ごみばこか、BookOff行き、である。

これでは、原作があわれだ。原作の知恵100が、下手な和文になったおかげで、半値八掛け五割引きになってしまった。実際、下手な和文が、外国の良質な知性を欲している日本の知的需要の充足を阻害しているのである。

訳者の能力が低い、、ということではない。訳者はその外国語を、他の誰よりも正しく厳密に理解しているが、正しく理解したその理解の深さを厳密に表現しようとすればするほど、関係代名詞のこんがらがった難文となり、悲しくもその理解した内容を和文に移し変えることができないのである。これも「訳」の能力といえなくもないが、そこまで訳者に負担を負わせずとも、分業して、訳文の「形成」手術部分は、こなれた日本語をつくる技をもった専門職人にまかせればよい。

 

それが、「和文スーパーバイザー」だ。

 

この人は、自分で翻訳はしない。誰かが翻訳してつくった「和文」が、読むに耐えるものかどうか、日本語になっているかどうか、コンテキストにあわせて違和感のない日本語になっているか、とチェックするだけだ。

 

だから、原文が英語であろうと中国語、ロシア語、ヒンズー語、その他、火星語であっても、かまわない。「和文スーパーバイザー」は原文の外国語をしらなくていい。ひとえに、その和訳された「和文」を、点検する任務を担う存在だからである。

 

というわけで、和文スーパーバイザー、、なる新語・新職の提案、でした。